翌朝、結局吹雪きはやまず、カレブは宿に閉じ込められた。
 しかたなく、服の洗濯などをして、時間をつぶす。

 洗った服を部屋に干し終わると、勢いよく扉がノックされた。

「はい?」

「わたしー。サラ!」

 元気すぎる声に、かえってカレブは脱力する。

「何か用?」

 カレブの冷たい返答にもサラはめげない。

「リカルドがね、どうせ暇だし、打ち合わせでもしないか、ですって」

 リカルドにしては、なかなか有益な意見だ。
 ぐずぐずと時間をつぶすよりは建設的で、うんといい。
 しかし、カレブは一瞬言葉に詰まった。

「・・・カレブくーん?」

 扉の向こうから、間延びしたサラの声がする。

 カレブは、恨めしそうに干した服に視線をやり、そして、己を見下ろした。
 だが、どうしようもない。

「どうしたの、カレブ君」

 ゴンゴンゴンと扉がノックされる。

「いいか、サラ。笑うなよ」

 扉を開ける前に、念を押す。

「笑うって何を?」

「いいから」

「・・・わかった。笑わないわ」

 訳がわからないまま、サラは約束した。
 やっと、扉が開く。

 姿を現したカレブを見て、サラは歓声をあげた。

「カ、カ、カ、カレブ君、可愛いっ! きゃあ、やだ、それ、どうしたのお!?」

 カレブは、苦味虫を噛み潰したような顔をした。

「畜生。笑うよりも最低だ」

 サラとカレブがロビーに顔を出すと、何事かを真剣に話し合っていたリカルドとグレッグが顔を上げた。こちらを見、ふたりともポカンと口をあける。

「・・・・・・女性だ」

 やや呆然としたグレッグが呟いた。

「イイ! それ、イイな、カレブ!!」

 リカルドはやたらと嬉しそうだ。

 カレブは両手でバリバリと頭をかきむしると、叫んだ。

「ああ、うるさい! ぼくは打ち合わせに来たんだ。それ以外の事は、一切口走るな!」

 さらりと「スカート」をゆらして、カレブは手近な椅子に腰をおろした。

 リカルドは肩をすくめる。
 昨夜は随分と自然なカレブを見る事が出来たのに、どうやら、いつものカレブに戻ってしまったらしい。

「・・・だったら、そんな格好、しなきゃいいのに」

「なんだって?」

 ぼそりと小さく呟いたつもりだったが、しっかりカレブには聞こえたようだ。
 リカルドは、カレブに睨みつけられる。

「いやさ、だから、あんまり普段と違いすぎるから。気にするなって方が無理だろ」

 今日のカレブは、いつもの少年のような格好ではなく、淡い水色のチュニックと、胡桃色のワンピースを身につけていた。

 髪は短いが、どこから見ても可憐な少女で、ハッと振り返るような印象深さがある。
 短剣を振りかざし、爆炎のヴァーゴをいなした盗賊と同一人物とは思えない。

「しかたないだろ、着替えを全部洗濯しちゃったんだから」

 唇をゆがめて、カレブは言う。

「今日は、ずっと、部屋にいるつもりだったし」

「リカルド、よく打ち合わせしようって言ってくれたわ! おかげでステキなもの、見られちゃった!」

 きゃっきゃと無邪気にサラははしゃいだ。
 カレブから危険な殺気が閃くが、彼女は気づかない。

「でも、意外よねー。あなたがそういう服、持ってるなんて」

 ぴくり、とカレブの眉がかすかに動いた。

「ぼくのじゃ、ない」

「え?」

 白い指が、そっと胡桃色の布を撫でた。

 ふう、と短いため息をついて、カレブは語り出す。

「アンジュウの村人が、ぼくを助けてくれたって、言っただろ? 結局、食料がたりなくて、その村をでなくちゃいけなかったんだけど。別れ際に、よくしてくれた村長の奥方がくれたんだ」

 カレブの瞳の色が濃くなった。

「娘さんの、形見なんだって。閃光の少し前に、殺人鬼に殺されたらしい」

「アンジュウの殺人鬼・・・、ギルマンか」

 グレッグが呟く。
 瞳の色を濃くしたまま、カレブがグレッグを見る。

「知ってる? グレッグ」

「ああ。・・・そう言えば、閃光の少し前は何かと事件が起こったな。オティーリエ女王らしからぬ、不手際だった」

 グレッグがそう言い終わるかおわらないうちに、カレブの右手が翻った。
 パン! と乾いた音をたててグレッグの頬が叩かれる。

 グレッグは今度こそ本当に呆然として、カレブを見た。
 これまでリカルドが殴られる事はあっても、グレッグが殴られる事は一度もなかったから。

 今、自分はそんなにカレブを怒らせるような事を口走っただろうか?

「カレブ」

 カレブは、ひどく複雑な表情をして、グレッグを傷つけた右手を見ていた。
 うつむき、小さく一言ごめん、と言う。

 グレッグは苦笑すると、いや、と首を振った。
 不用意にカレブのデリケートな部分に触れてしまったようだ。
 恩人の悲劇を思わせる言葉は、慎むべきだっただろう。

 カレブは、顔をあげるとリカルドの頬に拳を叩き込んだ。

「あんたが余計な事を言いだしたのが、悪いんだ」

 ハハハと引きつった笑みを浮かべ、リカルドは言った。

「よし、打ち合わせだ」

 スッとグレッグとリカルドの瞳が真剣になった。
 カレブも頷き、頭を切り替える。
 サラは、相変わらずにこにことしている。何も考えていないようだ。

「まず、下層をめざすんなら、通行許可証だな。俺とグレッグは持ってるから、サラとカレブの分か」

「ああ。クイーンガード長の試験を受けねばなるまい」

「試験?」

 途端に、サラの笑顔が凍りついた。

「嘘、王室管理室に行けば貰えるんじゃないの?」

「うむ、そこに行き、クイーンガード長の生み出した魔法生物と戦わねばならぬ。それに負けるようならば、下層へ挑む資格なしとみなされる」

 さあっと青ざめるサラとは対照的に、カレブは不敵な笑みを浮かべ、椅子に深く身体を沈めた。

「リカルドとグレッグが通った試験だろ? なら、問題ない」

 自信たっぷりな答えに、ククッとグレッグが笑う。

「そうだな。君ならたやすく通るだろう。しかし、最近許可証を発行するレドゥア殿が、迷宮にいない事が多いのだ。うまく会えればよいのだが」

「そういや、そうだな。この間は扉を護るラディックさんまでいなかったし」

 グレッグは思案気に顎に指を当てた。

「聞くところによると、クイーンガード長は食物供給のため、魔法実験を繰り返しておられるらしい。今は、王室の備蓄によってなんとか飢えずに済んではいるが、たくわえはいずれなくなる。備蓄に余裕がある今のうちに、という事だろう」

「なるほどね。切れるあの爺さんの事だ。そのへんもぬかりなしってわけか」

「大有りだよ! 許可証はどうなるんだ。他の兵士が発行してくれるのか?」

 カレブの叫びに、リカルドとグレッグは顔を見合わせた。

「いや、他の兵士から発行されたという話は聞いていない」

「だな」

「かわりの者を置いておけよ」

 クイーンガード長の手際の悪さに、カレブは悪態をついた。

「いざとなったら強行突破してやる」

 カレブは目を光らせ、危険な台詞を吐いた。
 やれやれとリカルドは肩をすくめる。

「まあ、お前が急ぎたいのはわかるけど、二階への階段を護るスペンサーさんは強いぜ?」

「あら」

 サラが口をはさんだ。

「でも、カレブ君はあの女魔術師を倒したのよ? だったら、いけるんじゃないかしら」

 それもそうだな、とその危険な考えに一瞬流されかけ、リカルドはぶるぶると頭をふった。

「じょ、冗談じゃない。犯罪者になってたまるか」

「いやなら、ついてくるな」

「だから、そういう訳にはいかないっていってるだろう。まあ、会えるように祈っておけよ。手に入るまでは地道に修行だな。地下二階からの魔物は甘くないぞ」

「くそっ」

 ダンッとカレブは足を踏み鳴らした。
 どうやら、時間はカレブに待つ事を強要させるらしい。

 苛立ちに身を焦がされたカレブが口を開こうとしたその瞬間。

 ダダンと激しく宿の大扉が鳴った。

 カウンターにいた宿の娘が驚いて顔をあげ、扉へと走る。

 この吹雪の中、いったい誰がやって来たというのだろう。
 それとも吹雪がやんだのだろうか。

 興味を覚え、カレブはそれとなく視線を扉へと走らせた。

 娘が大きなかんぬきに苦労しているのを見て、リカルドが立ち上がり手助けする。
 扉が開くと、すさまじい風雪がロビーに吹き荒れた。

「きゃ!」

「早く入れ!」

 娘を背中にかばいながら、リカルドは扉の前に立つ人影を中に引っ張った。

 グレッグが走り、扉を閉める。

 ふう、とリカルドはためていた息を吐き出し、吹雪の中をやってきた人物ににこやかに話しかけた。

「よう、酒場からでも戻ってきたのか。この吹雪の中をよく・・・」

 ごくり、とリカルドは喉をならした。
 そこに立っていたのが、絶対にこの場には存在しないはずの人物だったからだ。

 しかめつらしい顔で肩や頭ににつもった雪を払うのは、たくましい身体つきながらも、どことなく品のよさを漂わせる青年だった。

「ラディックさん。あんた、どうして」

 今は鎧こそ身につけていないが、間違いようが無い。
 彼こそ王室管理室の扉を護る王宮騎士。ラディック=フォードその人だった。

「伝令だ」

「伝令って・・・」

 この吹雪の中を?

 続くその言葉をリカルドは飲み込んだ。

 首をめぐらせたラディックが、カレブを見てぴたりと動きを止めたからだ。

 王宮騎士の鋭い視線がカレブに投げかけられる。
 カレブは、顔色一つ変えずにその視線を受け止めた。そして、小さく呟く。

「ラディック・・・、ああ、オークと似た名前の騎士だったね」

 サラは自分の腕をつねり、吹きだしそうになるのを必死にこらえた・・・・・・