第三十七場 策 謀

「サキさん!」

 傷だらけになったサキに、カナンが癒しの魔法をかける。
 サキの前には、ゲイズハウンドの屍が累々と横たわっていた。

「次から次へと、キリのない……!」

「ま、魔力が、限界だよ……」

 色濃く疲労の浮かんだ顔でラーラが嘆く。

 ゲイズハウンド達は、斬っても斬っても、魔法で消し去っても、次から次へと現れた。
 とても、前には進めない。
 このままでは、追い詰められてなぶり殺しにされるだけだ。

「くっ」

 血で、サキの持つ剣がすべる。

 カナンは攻撃魔法の詠唱をやめると、メイスを片手に飛び出した。

「一人では、無理です」

「ごめん、カナン」

「正直、最後の手段を使いたいところですが」

「最後の手段?」

「帰還の魔法、ロクトフェイトです」

「駄目。六人そろってならともかく、この状況じゃ許可できない」

「……そう言うと思いました」

 カナンは、メイスでサキを狙ったゲイズハウンドを殴りつける。

「サキさん、逃亡は嫌ですか?」

「意味ある逃亡なら、かまわないわ」

「一旦引きましょう。このままじゃ、体力を消耗するばかりです」

「――わかったわ。それじゃ、あっちの部屋に駆け込みましょうか」

 カナンは頷くと、リトカンの魔法を詠唱し、目の前のゲイズハウンド達を下がらせた。
 サキはぐったりしたラーラをひっぱり、手近な部屋へと飛び込む。
 詠唱を終えたカナンがそれに続いた。

 ゲイズハウンド達は、サキ達が部屋に入ったのをゆっくりと確認する。
 そして、一声鳴くと、幻のように掻き消えた。
 まるで、役目は終えたとばかりに――。

 

「ラーラ、ラーラ、しっかりなさい。ほら、大丈夫?」

 壁にもたれるように座り込んだラーラに、サキが声をかける。

「この部屋にも、まだ、魔物がいるかもしれないでしょう? 気を抜いちゃ駄目!」

 とっさに飛び込んだ部屋の中は薄暗く、濃い腐臭が渦巻いていた。
 だが、今のところ、魔物の気配はない。
 カナンは、ラーラにディアルマの魔法をかけた。

「ごめんね、カナンさん」

 カナンは、あやまるラーラに首をふる。
 体力のない彼女に、先ほどまでの戦いはかなり辛かったはずだ。

 魔物の気配がない事を確認したサキも、ずるずるとその場に座り込んだ。

「しばらく休憩。その後、もう一度強行突破をかける。数が減ってる事を祈るわ」

 サキはそう言いながら、何度も右手を握り締める。
 握力がほとんどなくなっていた。これでは、攻撃したところでたいしたダメージは与えられないだろう。

「まいった。これは、先行組みも全滅するわよ……」

「ノーグ達、大丈夫かなあ……」

 ラーラが不安そうに呟く。
 サキは、くしゃりとラーラの髪をなでた。

「ヘタすれば、あっちの方が攻撃力的には上だから。そう心配しなさんな」

 カナンは、何とかこの窮地を脱出する方法を考えたが、手札の少ない今、ろくな案が出てこない。
 結局、力技で切り抜けるか、帰還の魔法を使うかのどちらかだ。
 習得したばかりのマリクトの魔法を、使ってみたほうがいいのかもしれない。
 詠唱に時間がかかるのが、難点だが。

「サキさ……」

 サキと作戦を練ろうと声をかけたその瞬間、カナンのすぐ脇を巨大な剣が掠めていった。
 風圧で、ぶわりと髪が舞い上がる。
 闇の向こうからくりだされた長大な剣が、大きな音をたてて床にめり込んだ。

「カナン!」

 素早くサキが立ち上がる。
 いつの間にやら、闇の向こうに強烈な殺気がただよっていた。

 カナンは、頬を伝う血をぬぐって、身をひるがえした。
 座り込んだまま、呆然とラーラが呟く。

「きょ、巨人……!」

「……戦えますか、サキさん」

「やるしかないじゃない」

「見事に、はめられましたね。ゲイズハウンドは、我々をここに押し込めるのが役目だったようです」

「分断させて、疲れさせて、とどめをさす、か。単純だけど効果的な策だわ」

 何のための策謀か。
 そんなものは決まっている。敵の狙いはただひとつ、ヴァイパイアロード消滅の鍵を握るカナンの命だ。
 口に出さずとも、二人にはそれがわかっていた。

「四階の連撃が甘かったので、方針を変えたのでしょうね」

「また、つぶすわよ。そしてさっさとノーグ達と合流ね。きっと向こうもやっかいな事になっているでしょうから」

 闇の向こうから、燃えあがる炎の髪を持つ巨人が現れる。床にめり込んだ剣が引き抜かれた。

「四方に散って! 攻撃は絶対に受けちゃ駄目!」

 サキに言われるまでもなく、カナンもラーラもそのつもりだった。
 あんな剣を受ければ、絶対無事ではすまない。

 巨人は、その大きな身体からは想像も出来ない素早さで、縦横無尽に剣を繰り出した。
 雄たけびを上げながら振るわれるそれは、一撃一撃が死の旋風となる。
 剣がぶつかるたびに、床がひび割れ、壁が吹き飛び、天井が崩れ落ちた。
 その攻撃は、まるで鬼神のようだ。

 

 ラーラは、ともすれば怯えてすくみそうになる足を叱咤しながら、炎の巨人と距離をとる。

 ――わたしに、わたしに出来る事。ほとんどの魔法を使いきってしまった今、わたしに何か出来る事……!

 ラーラは必死に考えた。
 そこには、怯えてばかりでなにも出来なかった、かつての面影はない。
 時は彼女を変えていた。エルフの少女から、一人の魔術師へと。

 炎の巨人に効きそうな、氷の魔法はもはや残っていない。
 ゲイズハウンドとの戦いで、ダルトも、マダルトも使い切ってしまっていた。

 今、ラーラに残されているのは初級の魔法のみ。しかし、炎の巨人に炎の魔法が効くとは思いがたい。

「だけど、それでも、なんとかしなくちゃ!」

 

 カナンは、防御の魔法を詠唱する。
 例えわずかずつとはいえ、障壁となる空気は蓄積されていくのだ。
 このような状況では、もっとも有効的な手段となるだろう。

 カナンは、魔法の力が尽きるまで、マツとバマツの魔法を唱え続けた。

 

「チッ」

 巨人に一閃を食らわせたサキは舌打ちした。
 大きく跳躍して振るった一撃も、せいぜい腰程度までしか届かない。
 おまけに、浅い一撃で、とても致命傷にはつながらない。
 疲れたせいか、ひどく身体が重かった。
 サキの最大の武器である素早さが、大きく損なわれているのだ。

 ――駄目だ、このままじゃ。どうする? どうすれば……。

 焦りを押し殺すサキを、ふわりと何かが包んだ。
 ふりむくと、カナンが魔法の詠唱を続けている。
 サキは、身体の周りに空気が凝縮していくのを感じた。
 カナンの防御の魔法が、効果を現しつつある。

「これなら……!」

 サキは、巨人の攻撃をかわしながら、剣を逆手に持ち、着ていた鎖帷子を斬り裂いた。
 そして、役に立たなくなったそれを投げ捨てる。

 とたんに身体が軽くなった。
 とんと床を蹴る。
 悪くはない。

 サキは、忘れていた感覚を思い出していた。
 何も身につけない事。
 それが、忍びの力を最大限に引き出す。

「やってやる。わたしなら出来る。伊達に女を捨ててきたわけじゃないわ!」

 サキは、間髪いれず、短刀を巨人めがけて投げつけた。
 足と、腰、そして胸に、次々と短刀はつきささった。

 その攻撃は、巨人に大きなダメージを与えたわけではない。
 だが、それは、サキにとって、起死回生の一撃だった。

 ダンッと音をたてて床を蹴る。

 まずは、巨人の足にささった短刀に着地する。それを蹴り、次は、腰へ。
 巨人は、うるさい羽虫を追い払うような仕草をしたが、サキは最後の短刀に足をかけた。

 二ッ、とサキの顔に笑みが浮かぶ。

「わたしの……、勝ちよ!」

 サキは高く舞い上がった。
 手にした短刀が、ギラリと輝く。
 サキはそれに全体重をかけると、巨人の脳天めがけてつきおろした。

 

 サキが短刀を投げつけた時、ラーラにはサキの意図が読み取れた。

 あれは、足がかりだ。

 だとしたら、サキが狙っているのは敵の脳天。
 そこに刃をうちこめば、いかな巨人とて、死を導かれる。

 ラーラは詠唱を始めた。

 わたしのすべき事。
 サキさんの死の刃を、完全に。一瞬で、敵を葬り去る!

 初級の魔法の詠唱は短い。
 ラーラは苦もなく、サキの攻撃にあわせて詠唱を終える事が出来た。

 サキの短刀が、巨人の脳天に打ち込まれる。

「サキさん、飛んで!」

 ラーラの叫びに、サキは巨人の頭を蹴ると身をひるがえした。
 空中で身体を一回転させて、床に足をつける。

 ラーラは、サキが巨人から身を離した瞬間、詠唱していた魔法を解き放った。
 カッと雷光が爆ぜる。



ラーラは、サキが巨人から身を離した瞬間、詠唱していた魔法を解き放った。


 ラーラの放ったモリトの魔法は、一直線にサキの短刀に落ちると、巨人の身体を駆け巡った。
 巨人は身体をビクビクと痙攣させると、ぐらりと倒れる。
 大きな地響きと共に床に倒れ付したその後も、まだパチパチと雷光が踊っていた。

 ラーラは、放心したように座り込むと、そのまま意識を失った。

「ラーラ!?」

 あわてて、サキがラーラを抱え上げる。
 ラーラは青白い顔で、こんこんと眠りに落ちていた。

「そのままに、サキさん」

 カナンの言葉に、サキは頷く。

「よくもまあ、あんな低レベルの魔法をうまく使ったわね」

「成長しているのですよ、彼女も」

 カナンは優しくそう言うと、目を細めた。

「……カナン」

 低く、サキが呟く。
 サキの目は、倒れた巨人の後ろ、暗がりへと向けられていた。

「さて、女性にやっかいな相手をまかせてしまいましたね。次は、私の出番のようです」

 カナンは、立ち上がろうとするサキを止める。

「策をろうじるのはけっこうですけれど、最後のツメを誤りましたね」

 カナンはその秀麗な顔に冷笑を浮かべた。

「私を消すのに、死者を向けるとは浅はかな」

 部屋にうずまいていた腐臭が、一段と濃くなる。
 不死者の群れが、ずるずると闇の向こうから現れた。
 その中には、全滅した先行組みの姿もいくつかある。

「サキさん、目を閉じていてください。その間に、全て終わらせますから」

 サキは、カナンのその声に、かすかな怒りを感じ取った。

「わかった。まかせるわよ」

 カナンは頷くと、魔法の詠唱を始める。
 サキはゆっくりと目を閉じた。

 不死者達は、じりじりと包囲の輪を狭めてくる。
 伸ばした手の先では、精気を奪い取る力を秘めた爪が鈍く光っていた。

 長い、長い詠唱だった。
 サキが今まで、一度も耳にした事がないほどの。

 不死者の爪が、カナンの目に突きつけられる。
 だが、カナンは瞳を閉じなかった。

「滅びて、眠れ。哀れな生をひきずる者達よ」

 カナンの魔法が完成した。
 びくりと、不死者の身体が硬直する。

 金色に輝く聖句が、不死者達の身体に浮かび上がっていた。
 不死者達は、よろめき、後ずさると体中をかきむしる。

 浮かび上がった聖句は、光の帯となると、縦横無尽に部屋中を駆け抜けた。
 不死者達は、あるいは貫かれ、あるいは打ち据えられた。
 白煙をあげながら床へと沈む。

 僧侶の最高位の攻撃魔法マリクトによって、不死者達の偽りの命は、かき消された。

 まぶたを貫く光が収まると、サキはそっと目を開く。
 横たわる不死者を見て、サキは首をふった。

「恐い男ね」

 カナンはふりむくと、寂しそうに微笑む。

「僧侶の力が戦いに使われるのは、本当は哀しい事なのですよ」

「……ごめん」

「いえ」

 サキは、ラーラを背負うと立ち上がった。

「ひとまず、ノーグ達と合流しましょう。全てはそれから。哀しむのも、苦しむのも、安心するのもね」

「そうですね」

 カナンは苦笑すると、サキと共に歩き始めた。