あの時、クルガン一人が助かったのは、なんともくだらない理由からだった。ホビットの少年ダニエルが、クルガンを女だと勘違いしていたのだ。どうやら、ダニエルは頭の息子に、クルガンを献上するつもりだったらしい。

 舞姫が男だとわかった時のダニエルの落胆振りといったらなかった。せっかくの花嫁候補だったのに! と叫んで足を蹴られた。だが、そんな足の痛みよりも、恐怖のほうがクルガンには強かった。舞姫だと思われたから助けられたのだ。男の自分に用はない。だとすれば、父のように殺されるのだろうか。

 だが、頭の息子のシドニーは、ダニエルを笑い飛ばすと、怯えるクルガンに優しく話しかけてきた。俺の庇護を受け生きるか? と。シドニーは盗賊団の頭の息子でありながら、無益な殺生を好まない変わり者だった。

 だが、シドニーの申し出は、楽を忘れ、舞を捨て、盗賊として生きろという事だった。

 当然、クルガンは反発した。盗賊になどなれはしないと思った。だが、周りに味方はいなかった。しばらく考える時間が与えられたが、断ることはそのまま死を意味した。盗賊たちの顔を知る自分がそのまま解放されるとは思えない。

 居心地の悪い三日間、クルガンを盗賊達から守ってくれたのは、ダニエルとシドニーだった。目を光らせ、ちょっかいを出そうとする盗賊たちを牽制し、きちんと食事を与えてくれた。

 三日後、クルガンは答えを出した。死を選ぶことは出来ない。母が全てを捨てて救ってくれた命だ。今は屈辱の道を選んでも、生き長らえて再会したい。

 そう言うと、シドニーはそれでいいさと笑った。以来、クルガンはダニエル共々、シドニーの弟分として育てられた。

 そして、七年の月日が流れる。

 クルガンは森の若木のように成長していた。最早、誰もクルガンを女と間違えたりはしないだろう。ほっそりとしていた腕や手足にはしなやかな筋肉がつき、胸板も厚くなっていた。顔からは愛らしさが消え、代わって端整さと精悍さがそなわった。そして、灰色だった瞳はエルフの男性の特徴である赤に染まった。

 その瞳をシドニーは落日の瞳と呼んだ。世界を緋色に染める少し悲しい色だと。

 七年前より舞を舞ったことはない。代わりに、盗賊としての技術を身につけた。皮肉なことに、舞で培われた俊敏さがその技術を大いに助けてくれた。

 鍵開けも、気配を消して家屋に侵入する術も覚えた。短剣やナイフも今では意のままに操れる。

 盗賊として力をつけ、シドニーやダニエル以外の者にも認められ始めた三年前、クルガンは母の行方を捜した。それは、決して難しくなかった。頭とくだんの商人はいまだにつきあいがあったからだ。

 だが、商人から返ってきた答えは無常だった。

 母は、死んでいた。

 娼姫として娼館に買い取られ、一年あまりをそこですごした後、肺の病にかかったのだという。

 母とめぐり合えないとわかった時のクルガンの衝撃は大きかった。気がつけば、商人の耳を切り落としていた。ダニエルが夕食にさそいにこなければ、商人を切り殺していたかもしれない。

 もちろん、処罰は受けた。頭の信用に泥を売ったのだ。鞭で打たれ、罰則金を払わされた。その程度で済んだのは、シドニーの口添えがあったからだ。

 シドニーとダニエルは、憎い盗賊団の一員ではあったが、同時に恩人であり、友人であり、兄でもあった。

 だが、とクルガンは思う。

 いつか、盗賊団は抜けなければならない。そして、森へ帰るのだ。それは何処とも知れないが、きっと見つけ出す。それが、母との最後の約束だから。

「おーい、クルガン」

 木陰で枝を削り、矢を作っていたクルガンの所へ、ひょこひょことダニエルがやって来た。かれこれとうに二十歳はこえているはずだが、七年前と少しも変わりはしない。相変わらず愛嬌のある少年のような風貌だ。

「ダニー」

「何つくってんの? ああ、矢か。お前の矢は出来がいいからね。シッドが喜ぶんじゃない? っとと、もう頭って呼ばなきゃダメか」

「慣れないけどね」

 ダニエルの言葉に、クルガンは苦笑した。

「革命から一月かあ。早いもんだな。早いといやあ、お前がデカくなるのもはやかったけど」

 その革命に協力したのは、他ならないこのダニエルと、そしてクルガンだ。
 シドニーは人買いや誘拐といった蛮行に手を染める父を嫌悪していた。もともと盗賊という行為自体ほめられた物ではないが、父のやっていることは最早盗賊の域をこえている。

 シドニーは盗賊団の中に少しずつ味方を増やし、そして父と対決した。革命といってもなんら策を弄じたわけではない。真っ向からぶつかり合っただけだ。

 恐怖で心を支配した父と、人望でもって立ち向かった息子との戦いは、息子の勝利で終わった。

 シドニーが頭になって、盗賊団は変わった。まず規律が正され、むやみに人命を奪ったり、誘拐を行う事が禁じられた。次に、稼ぎの分配方法が大きく変えられた。今までは、奪った金品は全て一度頭の所に集まり、頭によってそれが配られる仕組みとなっていたが、稼ぎの額が全員に明らかにされ、公平に分配されることとなった。働きに応じた報酬も与えられ、一部の幹部と頭だけが得をするといったことはなく、不公平感がなくなった。おかげで鬱積がたまりにくくなったのか、野蛮な行いに走る者もいない。

 クルガンはこの革命に積極的に参加した。言うなれば憎むべき盗賊団を滅ぼすことに等しかったからだ。シドニーが預かる盗賊団ならば、あのような悲劇が起こることはないだろう。

「で、ダニー、なんの用?」

「頭が呼んでるぜ。お前、何かしでかしたのか?」

「シッドが」

 クルガンは手早く作りかけの矢を仕舞うと立ち上がった。
 その動きを追っていたダニエルは、自然とクルガンを見上げる形になる。

「ほんと、デカくなったよな。昔は華奢で可愛かったのになあ」

「ダニーに女に間違えられるくらいにね」

 ふ、とクルガンは笑うと、シドニーの待つ天幕へと向かった。無駄口をたたきながら、ダニエルもついてくる。

「頭、クルガンだ」

「入れ」

 低い声に促されて中に入ると、ちょうどシドニーが葡萄酒の瓶を開けたところだった。

「お、いいところに来ちゃった」

 ちゃっかりとそう言うダニエルに、シドニーは苦笑する。

「なんだ、お前も来たのか?」

「いいだろ、別にさあ」

 ダニエルはそそくさと棚から杯をつかみ出すと、シドニーに突き出す。
 シドニーは呆れながらも、葡萄酒を注いでやった。

「クルガン、お前もやるか?」

 シドニーは葡萄酒の瓶を持ち上げて見せたが、クルガンは首を横に振った。

「頭が俺を呼んでるって聞いたんだけど、酒盛りの誘いだったのか?」

「いや」

「じゃあ、何か話が?」

 シドニーは長い黒髪をかきあげると、葡萄酒を一口、口にふくんだ。

「そうだ」

 だが、なかなか話し出そうとしない。

 クルガンは、ダニエルと同じように棚から杯を取り出すと、シドニーの前に座った。

「もらうよ」

 シドニーはにやりと笑うと、白い葡萄酒をクルガンの杯にそそいだ。

 しばらく三人で昔話を肴に酒を酌み交わしたが、やっとシドニーが口を開いた。

「クルガン、例の、盗賊団を抜けるって話だがな」

 クルガンは、はっと緊張してシドニーを見つめた。

「なにそれ」

 初耳だとばかりに、ダニエルがクルガンを睨みつける。

「お、お前、あんだけ派手に革命やらかしといて、盗賊団抜けるだあ!? 勝手な事言ってんじゃねえぞ!」

「勝手なんかじゃない」

 低くクルガンは呟いた。

「確かに、ダニーやシッドにはいろんな恩がある。でも、同時に、どこかで憎んでる。俺は、あんた達にいろんな物を奪われた。それを忘れることなんて、できやしない」

「お前っ」

 カッとしたダニエルが立ち上がったが、シドニーがそれを押しとどめた。

「クルガンは間違った事は言ってやしないさ、ダニー」

「だけどっ」

 ダニエルは、イライラと杯を投げ捨てた。

「こいつは、オイラ達から離れるって言ってるんだぞ、シッド! あんたはそれでいいのかよ!」

「寂しくは、あるな。だが、このままここにこいつがいれば、いつか、俺達は剣を交えるだろう。どうあがいたって、俺とお前がクルゥのかたきの盗賊ってことにかわりはないからな」

「シッド」

 クルガンは、目を伏せた。

「あんた達のことは嫌いじゃない。感謝もしてる。だけど、駄目なんだ。父や母を忘れられない。俺は盗賊じゃない。俺は、エルフだ。流浪の民だ。帰るべき森を見つけなきゃならないんだ!」

「ばっかやろう、そんな事言いながら、感謝してるとか言われても、嬉しくねえんだよ!」

 口汚くダニエルは叫んだ。

 ふう、とシドニーがため息をつく。

「クルガン、だがな、おいそれと抜けさせてやるわけには、いかないぞ」

 クルガンは、ぎゅっと眉をよせると、シドニーを見つめた。

「きっちりと、他の者にしめしはつけていってもらう。俺の出す条件をこなせたら、足を洗うことを認めよう」

「条件、とは・・・?」

「聖都ドゥーハン」

 葡萄酒を杯につぎ足しながらシドニーは言った。

「そこの王城に忍び入って、女王様のドレスとやらを盗んできてもらおう」

「ドレスを、一着?」

「そうだ。それで、お前は自由になれる」

「期限は」

「三か月」

「・・・わかった」

 クルガンは頷くと、立ち上がった。そのまま、背を向ける。

「シッド、ダニー、ありがとう。さようならは、ドレスを盗んできたその時に」

 クルガンが天幕から出て行くと、ほっとした表情をうかべたダニエルが、シドニーの腹をつついた。

「なんだー、オイラ怒って損しちゃったよ。シッド、クルガンを抜けさせるつもりなんてないんじゃん」

「うん?」

「ドゥーハンの城っていや、各国の軍に難攻不落って評判だぜ。それは、盗賊にとっても同じ事。あそこに忍び込んで戻ってきたヤツはいないって話じゃないか。きっと、クルガンも尻尾を巻いて戻ってくるってふんでるんだろ」

「さて・・・」

 はっきりしない答えに、ダニエルは頬をふくらませた。

「なんだよ、それー」

「ドゥーハンは、古からエルフとのつながりが深い。エルフが自治をおこなう森も有する国だ。ドゥーハンの城にはその森からの客人とやらも住んでいるときく」

「あん?」

「つまり、見つけるかもな、あいつはあいつの帰る森を」

「どういうことだよっ、シッド!」

「頭って呼べってば」

「うるさい、今日は無礼講だーーー!」

 その夜の内に僅かな荷物をまとめ旅立ったクルガンは、半月後には、聖都に到着していた。そのまま逃げる事は考えなかった。それは、シドニーに対する裏切りになるし、なによりそんな事を許すような甘いシドニーではない。裏切り者として、追っ手がかけられるのは目に見えていた。そして、その追っ手は、ダニエルかもしれないのだ。

 クルガンはひとまず城下に宿をとり、城の下見にでかけた。そして、絶句した。

 あまりに見事な守備で、蟻のはいでる隙間もない。騎士と魔術師が組となって警備にあたっているのは、不足の事態に常からそなえているからであり、城のつくり自体も侵入者を拒むような造形になっている。城の四方にそびえる見張りの塔は、高みから広く王城周辺を監視していた。これでは、正攻法では確実に侵入できない。クルガンは短期決着を諦めた。

 どんなに堅牢に守られた城でも、人の出入りはあるはずだ。食料や備品を場内に運ぶ者達が必ずいるはず。クルガンはそこに目をつけた。


 

 

 どうやったの? と興味にかられた目で、少女が瞳を覗き込んできた。クイーンガードという立場上、その方法は気になるところだろう。

 城に出入りする店を調べ、目をつけたのがある庭師だった。城下の片隅に住まう老いた庭師は、二十年以上城の庭を整えてきたが、跡を継ぐものがいなかった。接触をはかり、時間をかけて、庭師の信頼を勝ち取った。エルフだという事と、持参した珍しい植物の種が、武器となった。聖都について一月半後には、庭師の弟子として、城内に潜入することができた。

 少女は目を丸くして、抜け目のないヤツ、と鼻を弾いた。

 潜入した城内は、美しかった。城の中庭には、うっそうと木々が生い茂り、まるで森のようで、心が痛くなった。

 ああ、と少女がため息をこぼす。あそこは、美しい。滝があり、流れる小川は堀へとつながり、そこには小魚が泳ぐ。小川の縁には菫が咲き、木苺の繁みには宝石のような実が実る。

 だが、順調なのはそこまでだった。庭師として城に潜入するうちにあるエルフの娘と仲良くなったのが運のつきだった。

 それって、と少女が呟く。きっと、二人は今同じ娘の顔を思い出していることだろう。
 エルフの娘は、エルフの森からの客人で、現女王の侍女頭で、さらにはたった二人のクイーンガードの内の一人であった。決してヒマな身分ではあるまいに、何かと時間をつくっては、やってくる。年頃が近いのが嬉しいのだと言う。花の話がしたいのだと言う。そして、悲しい瞳が気になるのだ、と。澄んだ青緑の瞳が、苦手だった。何もかも、みすかされそうだったから。

 心を乱された自分は、事を急いた。そして、それがやはり痛い失敗だった。女王の寝所近くまで行くことは成功したものの、ほかならないエルフの娘自身に、捕らえられたのだ。

 少女の肩が震える。必死に、笑わないという約束を守ろうとしているらしい。
 すごく間抜けだ、と少女は言った。でも捕まったのが、長じゃなくてよかったね、とも。自分でもそう思うから、あえて反論はしない。

 彼女に捕らえられたからこそ、処刑をまぬがれ、何故か客人として王宮にとどまる事を許されたのだ。

 王宮で過ごした日々を、きっと自分は忘れない。傷つき、死にかけていた心がゆっくりと癒されていくような、そんな安らぎの日々だった。

 娘は、母と同じように自分のことをクルゥと呼んだ。娘の仕える女王さえも、それを真似した。長は始めこそ渋い顔をしていたが、空いた時間ができると、学問を教えてくれた。曰く、王宮に無能な者を養う余裕はないから、と。言葉こそ厳しかったが、その心は温かかった。少しずつ彼らに心を開き、少しずつ己の過去を彼らに語った。全てを話し終えた夜、自分は泣いた。父を殺され、母と別れたあの夜以来、零したことのなかった涙を流した。

 翌日、長から一本の短刀を渡され、女王からクイーンガードに任命された。

 新たな人生が開けた瞬間だった。

 早く帰らなきゃね、と少女が笑う。

 ああ、と頷くと、あの時の感動が再び胸に蘇った。

 そう、自分は、あの時、やっと帰ったのだ、己の森へ。


 

 

「頭」

 呼びかけられて振り向くと、皮鎧に身を固めたダニエルが立っていた。

 過去は霧散し、現実が目の前に現れる。忌々しい迷宮が、そこには広がっていた。

「四層あたりから変ですよ、どうかしたんですか?」

「いや・・・」

 言葉少なに答えると、ぷっとダニエルは笑った。

「あーあーあー、まったく可愛くなくなっちゃったなあ、クルガンは!」

「ダニー」

 ぎろりと睨みつけると、ホビットの青年は肩を竦めた。

「はいはいはい、今はオイラ達ドゥーハン忍者兵の頭ですねっと」

「報告を」

 姿勢を正すと、ダニエルはすらすらと報告を始める。

「この先には、魔神がうようよしてますね。シッドが先行して牽制中。毒の胞子が舞ってる所があるから、そこでは頭巾が必須。ああ、頭は頭巾がないからそれ、その襟巻き、口元まであげといてくださいね。シッドいわく、六層中心部になにやらどでかい魔力の塊があるそうです。また例の血の渦じゃないかと」

「わかった」

 頷くと、ダニエルに足を蹴飛ばされた。

「うら、しっかりしろよ、クルガン! わかったじゃないだろ、命令しろっての。わざわざオイラ達をよびつけて忍者兵なんかにしたてたんだから、きっちり使えよな!」

「・・・・・・ああ」

 迷宮の湿ったかび臭い空気を吸い込み、かつての恩人、そして現在の部下に命令を下す。

「全員戦闘態勢。魔神を駆逐しろ。撤退はありえない、勝利のみをその手につかめ!」

「ハッ! それじゃお先に!」

 駆けて行くダニエルを見送って、腰の短刀を引き抜いた。青々とした刃に、己の赤い瞳が映る。その瞳の奥で、銀の髪の少女が微笑んだ。

 幻だ。今となっては、全てが幻だ。

 己が舞姫だったこと、父母と過ごした幸せな日々、新たに掴んだ幸せ、そしてあの北の山での宵語それさえも。

「全ては、泡沫の夢幻」

 悲しく吐き捨て、疾風の忍者は歩き出す。これ以上残ったものを幻に変えないために。




 
TOPへ
 
前のページへ
 
1ページ目へ




 
壁紙&ライン提供: Stardust