太陽が黄金のドレスを脱ぎ捨て、緋色のドレスをまとう。
 鮮やかな緋のレースは、長い影を引きずる地に住まう者達もその色に染めあげる。
 だが、太陽が緋色のドレスをまとう時間は短い。あっという間に夜の貴婦人が濃紺の長衣をひきずってやってくるからだ。

 美しいがせわしない太陽の退出に追い立てられるように、野営の準備をする一団があった。緋色のきらめきを金や茶の髪にやどす彼らは流浪の民、エルフ族だ。
 天幕をはり、かまどをつくり、手馴れた様子でそれぞれが仕事をこなしていく。

 耳をくすぐる滑らかな音が、忙しくたち動く彼らの間を流れていった。
 火の傍に腰をおろした楽師と思しきエルフの男が、額におちかかる長い前髪を揺らしながら竪琴を奏でている。

 何も知らぬものが見れば、仲間達が働いているというのに呑気なことだと思うかもしれない。だが、楽師は野営において重要な役割を担っていた。彼が爪弾くのは魔よけの輪舞曲。この音色が流れれば、妖魔や獣は近づく事が出来ない。魔力を帯びた楽の音は、くるりくるりと輪になってエルフ達を護るだろう。

 楽師が最後の一音を弾くのを待ち構えていたように、薄絹をまとったエルフの踊り子が近づいてきた。

「お疲れ様、エルマー」

 手首につけた銀鈴をちりりと鳴らして、踊り子はエルマーと呼んだ楽師に木の椀を差し出した。中には薄荷の葉を浮かべた蜂蜜水が入っている。

「やあ、ありがとう、マージェリー」

 人好きのする笑みを浮かべて、エルマーは木の椀を受け取った。そのまま椀を口元に運び、さわやかな飲み物を喉に流し込む。

 魔法の楽を奏でるのはなかなかに精神を消耗する。ほっと心をくつろげる飲み物はありがたかった。

「気の利く奥方殿で嬉しいよ」

「まぁ」

 マージェリーが笑うと、編んだ金色の髪が柔らかく揺れた。
 その少女のような仕草に、エルマーは苦笑する。彼女と共に生きることを誓ってからもう随分経つが、昔と少しも変わりはしない。エルマーの心を魅了した愛らしくあどけない踊り子のままだ。

「ほら見て、エルマー」

 そんなエルマーの心のうちを知ってか知らずか、マージェリーは、ややはしゃぎ気味と言ってもよい様子で焚き火の向こうを指差した。

「わたしとあなたの舞姫が踊るわ。あなたの楽を完成させるために」

 気まぐれに飛び交う火の粉の向こうに、すっくと立つ幼い舞姫の姿があった。

 細い身体にまっとった白絹と背に流された長い金の髪が、火の粉の赤と落日の緋に美しく照らし出されている。たおやかな両の手には、その身の丈には不似合いな二振りの長剣が握られていた。

 凛とした表情をたたえた舞姫が、剣を持ちあげて踊り始める。
 剣によって魔を払う、破邪の舞だ。魔よけの輪舞曲と対をなす踊りだった。

 古のエルフ族なら言の葉ひとつでなしえた退魔も、今の彼らは楽と舞の力を借りてやっとなす事ができるのだ。どちらがかけても、魔は退いてくれない。

 エルマーの奏でた魔法の音色は、未だこだまとなってあたりに響いていた。その魔法の音色に、舞姫の破邪の舞が重なっていく。空気に溶け込む森の香のように。

 子供の手には余るような長剣を、幼い舞姫は見事に扱った。切っ先がぶれない。それでいて流れるように宙に破邪の軌跡を描く。白い足が鈴の音と共に空をきり、小さな身体がくるりと回る。焚き火の炎に照らし出された影がそれに続いた。

 地に足がついている時間のなんと短い事か。まるで白い風だ。

 短い気合の声をあげ、舞姫は最後の形をきめた。打ち合わされた剣が澄んだ音をたてて震える。その瞬間、確かに”何か”が辺りを包み込んだ。退魔が完成したのだ。

 わっと拍手が巻き起こった。

「素晴らしかったわ」

 誰よりも大きな拍手をして、マージェリーは笑顔でやってきた舞姫を抱き締めた。

「あなたは森の若木のように成長するのね。見事に破邪の舞を自分の物にしているわ」

「母さん、くすぐったいよ」

 マージェリーの髪が頬に当たり、舞姫は灰色の瞳を細めてくすくすと笑った。母と子が笑うたびに、足首と手首にそれぞれまいたそろいの鈴が楽しげに鳴る。

「ね、クルゥ。明日は母さんと一緒に踊りましょうね」

「うん。母さんが父さんに見とれてなけりゃね」

 親子と言うよりは、気の合う友達といったところだろうか。
 割り込めずにいたエルマーが、竪琴を爪弾き二人の注意をひく。

「やれやれ、父さんにもなにか言ってほしいな、クルゥ」

 舞姫クルゥは、慌てて手をふると父親に抱きついた。

「父さんの演奏が素敵だから、のびのび踊れたんだよ、本当だよ」

「踊りもだが、口もお上手だ」

 エルマーの言葉に、クルゥはちろりと舌を出した。なんとも元気で愛らしい舞姫だ。

「ねえ、クルゥ、踊りましょう!」

「はーい!」

 年上の踊り子達が、クルゥを呼ぶ。クルゥはパッと身をひるがえすと、エルマーとマージェリーに手を振って、踊り子達の所に駆けていった。

 手拍子が始まり、踊り子達が踊り始める。生きる喜びをたたえた若葉の舞だ。踊りの中心にいるのは、一番幼いクルゥだった。

 クルゥの楽しそうな様子を見守るマージェリーの肩を、エルマーが抱いた。

「ねぇ、マージェリー」

「なあに?」

 視線をクルゥから動かさず、マージェリーがきく。

「もちろん、君はわかっていると思うけど、いつまでクルゥにああいった、そのう、舞姫の格好をさせておく気だい?」

「いつまでって?」

 大きな目をしばたかせて、マージェリーはエルマーを見つめた。
 エルマーは額に手をあてて、大きなため息をつく。

「確かに、クルゥは可愛いよ、だけど・・・」

「ええ、それにとっても美人さんだわ」

 無邪気な奥方に眩暈を覚えつつも、エルマーはしっかりと彼女の両肩に手を置いた。

「マージェリー、聞くんだ」

 マージェリーの瞳を見つめ、エルマーは続ける。

「私達の舞姫の瞳は、君と同じ青緑には染まらない」

「・・・わかってるわ」

 マージェリーは長い睫をそっとふせた。

 エルフは幼いころは灰色の瞳をしているが、ある程度の年齢になると、男女で瞳の色が異なってくるのだ。

 女性の瞳は、森の梢から青空を覗いたような青緑色になり、男性は、薔薇の実や野イチゴなどと様々に表現される赤い瞳になる。

 瞳が青緑に染まらないと言うことは、クルゥはつまり。

「君が、女の子が欲しかったのは知ってる。クルゥが舞の上手を心得ていることも承知している。でも、だからといって、クルゥの未来を歪めちゃいけない」

「わかってる・・・」

 ぽたりと透明な雫が、マージェリーの瞳から溢れた。

「わかってるけれど、もう少しの間だけ。せめて、招かれている祭りが終わるまでは」

「・・・わかったよ、奥さん」

 エルマーは優しい手つきでマージェリーの涙を拭った。

 両親の苦悩を知らずに、舞姫クルゥ、いや、エルフの少年クルガンは、朗らかな笑い声を響かせて踊っていた。


 エルマー達は、楽と舞に秀でた流浪の民だった。己の技で日々の糧を得、この大陸をさまよっている。いつの日にかは、自分達を迎え入れてくれる森に腰を落ち着ける事になるのかもしれないが、まだその森はみつかっていない。罪を犯し、森を汚したエルフ族を許してくれる森は少ないのだ。

 優しい森にめぐりあえず、または、一生一族の罪を許すことが出来ず、さまよいつづけるエルフも少なくない。中には、森へかえることをあきらめて、大陸をさまようことすらせず、人と共に街に住まうエルフもあった。そのようなエルフ達を、流浪の民であるエルフ達は、皮肉をこめて都市エルフと呼んでいた。

 だが、流浪の民もまったく人と無関係ではいられない。この大陸で人間の勢力は大きく、彼らの国がほとんどをしめているからだ。大なり小なり彼らと関わっていかねば、生きていく事は難しい。

 今回、エルマー達を祭に招いたのも、人間達だった。エルマー達の技量を聞きつけ、わざわざ使者を送ってきたのだ。小さな港町の、開港の記念日を祝う祭なのだという。

 街中を走る運河に、花とリボンで飾った船形の山車を流し、港の繁栄と平和を祈るそうだ。むろん、露店がたち並び、芸人が集まる。

 年に一度のこの祭を、人々が楽しみにしているだろうことは、想像にかたくなかった。これを断るのは、無粋というもの。エルマー達は、快く使者の招きを受けた。

 一番はりきったのは、クルガンだ。人間の祭など初めてで、興味はつきない。
 率先して、舞の創作をはじめ、エルマーにも作曲を命じる。

「やれやれ、この短い時間に一曲しあげろと?」

 言葉とは裏腹に、エルマーの竪琴からは、次々に新しい旋律が生まれてくる。

 舞と踊りの主題は、いわずもがな海だ。

 踊り子達は、薄絹をそれぞれ淡い青や薄緑、藍に染め、水の衣装を作った。裾がひらひらと風に舞う様は、まるで漣のようだ。

 優雅に寄せては引く波の間から生まれる海の女神には、マージェリーが扮する事になった。

「ほう、奥方殿が女神ということは、クルゥはなにを演じるのかな?」

 いつもどおりの白絹をまとったクルガンは、灰色の瞳を悪戯っぽく輝かせた。

「なんだと思う?」

「さて・・・」

 クルガンは、エルマーが次の一音を奏でるのを待って、大地を蹴った。

 波の乙女と海の女神の間に、ふわりと一羽の小鳥が舞い降りる。

 小鳥は、女神の肩にしばし羽をあずけると、波に驚いたようにまた飛び立ち、しかし女神の傍を離れがたいのか、あたりをゆっくり旋回する。

 女神が波の乙女達をしずめ、手をさしのべると、小鳥は女神に感謝の口づけをした。

 少しずつ、踊りと物語が出来上がっていく。

 女神は、仲間とはぐれたらしい小鳥を陸に案内することに決めたようだ。

 女神の舞は小鳥を癒し、小鳥の舞は女神を楽しませる。波の乙女たちはそんな二人を勇気づけるように、さまざまに美しい形をとりながら、陸地を目指した。

 太陽が照りつける日中は、涼しげな波のアーチをくぐり、月が海面に揺れる夜は、漣を子守唄として眠りについた。

 長い旅の末、小鳥は陸へと戻った。小鳥は喜び、女神に別れの口づけをして羽ばたいていく。

 女神と小鳥は、陸と海に別れたかに見えた。

 だが、そうではない。小鳥がふりかえれば、そこには海があり、女神の視線の先には陸があった。そう、二人は望みさえすれば、いつでもあうことができるのだ。

 小鳥と女神は再びめぐり合う。波のきらめきと祝福のもとに。

 踊り終わったクルガンは、軽く息を切らせながら大きくのびをした。

「ううん、ちょっときついなあ。もう少し踊りこまないとダメみたいだ」

「そうだね。もう少し洗練させると、ぐっとよくなるだろう。母さんと相談してごらん」

 頷きつつも、ちらりとクルガンはエルマーを上目遣いで見つめた。その視線の意味に気づいたエルマーは、クルガンの長い髪をくしゃくしゃとかき混ぜてやった。

「君が演じた小鳥が船を現しているんだろう? 船は陸に戻っても再び海に漕ぎ出さずにはいられない。港町の祭にはぴったりの舞だと思うよ」

「本当!?」

 アーモンド型の形の良い瞳が丸くなって、嬉しさを最大限に現している。

「ありがとう、父さん」

 クルガンは、エルマーの頬に軽く口づけした。

「父さんも曲を完成させるよ。舞が変わったら教えておくれ。リズムを合わせたいからね」

「うん!」

 港町にたどり着くまでの一週間、エルマー達は曲と舞を完成させることに没頭した。
 本来森の民である彼らが海を表現するのは、存外骨の折れることだったが、楽と舞の流浪の民だという誇りと技術が、それをなしえた。

 後は、実際の海をみて、心で感じとるしかない。最後の調整は、港町についてからと決まった。

 やっとたどり着いた港町は、祭の活気で溢れいてた。本格的な祭は明日からだと言うのに、気の早い店のいくつかが、露店を出していたりする。それを見るだけで随分と心が浮き立つような気がした。

 エルマー達は、ひとまず街長の館へ出向いて挨拶をすませ、滞在できる宿へと案内してもらった。

 道行く間、街の人々は流浪の民が珍しいのか、好奇の視線を向けてきたが、それ以上の好奇でもって街を眺め回していたのがクルガンだった。

 人の街へくるのはこれが初めてではないが、海辺の街というのが珍しくて仕方がないのだ。建物も、人々の服装も、街路樹も、空の色さえも、内陸とは異なっている。
 すぐにでも駆け出して、あちこち見学してみたい。それになにより、海をこの目で見て確かめたかった。鼻をくすぐる潮の香りが、まるで海の女神の手招きのように思える。

 宿に落ち着いて荷物の整理が終わり、皆が一息いれるのを、クルガンはうずうずとして待った。

 落ち着かない息子を、マージェリーが優しく諭す。

「ほら、今のうちに衣装の手入れをしておきなさい。お父さんはお祭の打ち合わせがあるから、お父さんが戻ってきてから、一緒に街を見に行きましょう?」

「はあい」

 一人で出かけても楽しくない。父や母と共に出かけてこそ意味があるのだ。初めて目にするものの感動をわかちあえる相手がいなければ、輝きは半減してしまう。

 日が傾き始めたころ、やっとエルマーが宿へと戻ってきた。

 窓から身を乗り出して外を眺めていたクルガンは、通りの向こうから歩いてくるエルマーの姿を認めると、大きく手をふって合図した。すぐにそれに気づいたエルマーは、口元に両手を当てて、大きな声でクルガンを呼んだ。

「母さんと一緒に降りておいで、クルゥ! 夕食は外で食べよう!」

 エルマーの計らいに大喜びしたクルガンは、のんびりとしたマージェリーをせきたてて仕度をすると、宿をとびだした。

「そんなに慌てなくていいよ、海は逃げないから、クルゥ」

 息をきらせてやってきた息子を見て、エルマーが笑う。

 わかってはいるが、幼い好奇心はもう我慢の限界だった。クルガンは、右手でエルマーの、左手でマージェリーの手を取ると意気揚揚と歩き出した。

 日が暮れ出したというのに、街は随分と賑やかだ。

 運河沿いに並んだ店先に吊り下げられたランプや提灯が、オレンジ色の光を白い石壁に投げかけ、その光の中で道行く人の影がすれ違う。

 気温が高いせいか、どの飲食店も大きく扉をひらき、道にまでテーブルと椅子を広げていた。海風を満喫しながら食事ができるという寸法だ。

「せっかくだから、少し歩きましょうよ」

 マージェリーの提案で、エルマー達は決まった店には入らず露店で食事をとることにした。

 冷やした果物を売る店、とりたての魚を塩焼きにする店、茹でた海老を並べる店、当然壷にはいった酒を売る店もある。どの店もそれぞれに個性があって、楽しく頭を悩ませることができた。結局、一軒ずつひやかして購入したのは、玉ねぎを刻み込んだトマトソースをたっぷりとかけた焼き貝に、八分の一ずつに切り分けられたメロン、海老のすり身のペーストをはさんで揚げたパン、それに菫の花で香り付けした蒸留水。

 あつあつの焼き貝は、クルガンの手のひらくらいの大きさがあった。扇を広げたような形も美しいが、なにより潮とトマトの芳香がすばらしく、プリプリとした身はもちろんのこと、汁の一滴までのこさず平らげた。火傷しないように注意しながら貝殻をもち、直接美味な汁を口の中に流し込むのだ。露店の食事はきどって食べるよりも、こんな風にざっくばらんに楽しんだほうがふさわしい。海老のペーストをはさんだ揚げパンは、クルガンに美味しいの台詞を連発させた。海老のすりみの甘味と香ばしさ、サクサクとした歯ざわりがなかなかだ。メロンと蒸留水は、熱い料理に刺激された舌をさっぱりと涼やかに洗い流してくれる。

 歩きながら食事をするうちに、港へとたどり着いた。港も、明日の祭りに備えて美しく飾り付けられている。花々の香りが、ゆったりと夕闇の海辺に広がり、停泊した船から零れる光が、暗い海面の上でユラユラと踊っていた。

「わあ」

 子供らしい明快さで、クルガンは海に見とれた。桟橋の端近まで駆け、海面を覗き込む。エルマーは、少し疲れたらしいマージェリーを木箱に座らせて休ませると、クルガンの傍に歩み寄った。

「海はどうだい? 小鳥さん」

 クルガンは答えず、ただじっと海を見つめ続けている。
 耳をそばだてて、心に忍び込んでくるような静かな波のささやきを聞いているようだ。

 そっと足をおろして、つま先で海を蹴り上げる。パシャンと跳ねた海水が、いつのまにか顔を出した月に照らされ、暗く輝きながら海へと戻った。

「空から落ちてくる水が大地にもぐって、やがてそれが湧き出て川となり、ここへたどり着くんだね。海ってなんだか遠いような、異質なような気がしていたけど、そんなことない。ちゃんと、こうやってつながっている・・・」

 再び海面を蹴り上げて、水しぶきをあげながら、クルガンはくるりと回転した。

「踊れる気がする。前よりも、深く」

「踊ってごらん」

 エルマーは、どんな時でも手放すことのない竪琴をとりだすと、弦に指を滑らせた。

 波音と溶け合うように、弦が静かに歌う。

 クルガンは、左右に広げた手をそっと持ち上げると、翼で空気を抱くように舞い始めた。

「小鳥は、最初不安なんだよ。この大きな水溜りに。でも、そのうちに夢中になる」

 海面近くへ舞い降りた小鳥は、その小さな足で海に触れる。

「こんなふうに!」

 大胆に蹴り上げられた足を追うように、白絹が舞った。

「そして、女神と出会うんだ」

 ステップを踏みながらマージェリーの所まで行ったクルガンは、優雅にかがむと、マージェリーの衣の裾に口づけをした。

「まあ。おしゃまな小鳥さん」

 マージェリーは立ち上がると、クルガンの手をとり共に踊り始めた。
 夜の海を背に、女神と、小鳥の舞が続く。

 舞と楽に集中していた三人は、それをじっと見つめる者がいることに気づかなかった。

 踊り終わったクルガンは、少し息を切らせながら伸びやかに両腕を伸ばした。
 火照った頬に、海から吹きぬける風が心地よい。

「さて、時間を過ごしてしまったな。そろそろ帰ろうか」

「うん・・・」

 名残惜しげに海に視線をやりながら、しかし、クルガンは素直に頷いた。

「次に踊るのは、青空の下だね。青い海の前だと、また踊りの感じを変えたくなっちゃうかもしれないよ?」

「どんな踊りにも、合わせてあげてよ? あなたの前の舞姫は、お母さんだったのですもの」

「舞姫のお望みとあらば、どんな楽でも奏でましょう」

 頼もしい両親の答えに、クルガンは微笑んだ。そして、明日の祭に、思いを馳せた。


 

 

 お祭はうまくいった? と少し気だるい声で少女が聞いた。いや、と答えると、少女は不思議そうな顔をした。巧く踊れなかったのか、という問いにも、再び、いや、と答える。どうして、と尋ねる少女の銀の髪をなでた。

 踊れなかったのだ。祭の朝を、迎えることができなかった。そう答えると、少女はひとつ瞬きをして、そっと身体を寄せてきた。次に語られるのが、決して幸せな話ではないということに、気づいたようだ。

 ごめんという呟きが、薄紅の唇から零れた。謝らなくていい。今は、もう、辛くはないから。受け入れることが出来ているから。あの過去があるからこそ、今があり、それゆえに掴んだ幸せもあるのだ。

 手に入れられたはずの、別の幸せを考えたことがなかったかと言えば嘘になる。だが、決して手に入らないそれを求めて、大切な今をなくすつもりはない。

 例えば、敬愛する主君を。例えば、尊敬すべき長を。例えば、親愛なる同僚を。例えば、腕に抱くお前を。

 紅色に染まった少女の頬を親指でなで、祭の前夜を語る。



 
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